サタナエル【Satanael】(サタン 堕天使たちの支配者その6)


 サタナエル【Satanael】、ときにはサタナイル【Satanail】と呼ばれる悪魔は、旧約聖書には登場しない。ただ、「悪の君主」として有名な存在である。一説ではサタンの正式名称とも言われている(造語であり、サタナエルというのはこじつけで出来たという説もあり諸説分かれるところだが)。『エノク書』にはグリゴリ(前章アザゼルの章を参照のこと)の一員として紹介されているが、12世紀には悪の中心人物として知られることになった。

 このサタナエルを有名にしたのはボゴミル派というブルガリアに生まれたキリスト教の一分派がその存在を大きく取り上げたからだ。そもそもこのボゴミル派とは10世紀前半、ブルガリア西部マケドニア地方の司祭ボゴミルが興したとされる宗派であるが、非常に禁欲的な過激思想を持っていた。その主張は、世界は正義と悪との対立する二元論で、協会組織を否定し、典礼などは意味がなく、個人における信仰行為のみが人を救済に導くと言うものである。ボゴミル派の中心思想であったのが、「悪魔論」であり、悪魔は、善と光の神から独立して存在し、悪と闇をその基盤とする神と考えた。そして、神、子、悪魔によって三位一体が構成されるとしていた。父である神は永遠を支配し、子キリストは天上の支配権を持ち、そして悪魔は地上の一切を支配しているのだという。ここで取り上げられているのが、このサタナエルの存在なのである。以下には、そのボゴミル派のサタナエルの説明などを書いてみたい。

 
 神には二人の息子が居た。兄は悪魔サタナエル、弟がキリスト(一説ではこれが逆となっているのもある)。サタナエルは善そのものとして創造され、天使の中でも最高の長所を持ち、神の補佐役として常に父の右側に席を得ていたのである。ところが、最高の美徳を備えながら、神の座に自分が座ることを考えるようになり、神への叛逆を企てるのである。これに天使の3分の1が同調した。それは、サタナエルの持つ威厳への敬意であり、彼に従うことが習慣だったとされるので、これほど多くの天使が同調したのであろう。しかも、天界での煩雑な儀式を廃止すると約束されたのである。ところが、謀叛は発覚し、サタナエルと、彼に同調した天使達は天界から追放された。しかし、天から落とされるとき、サタナエルは決意した。

 「自分の住む新しい世界を作ろう。神が天と地を創造したのだから、私は第2の神として第2の天を作ろう」と。
  
 つまりは、この世界、この地上こそがサタナエルの創造した"第2の天"であり、さらに彼は第2の神として人間を創造することを思いついた。父に習い、新たに宇宙を創造して、大地を作った。それは、創造主のよこしまな性格を反映して、不快なものとして存在することになる。次に土と水からアダムを形作り、立ち上がらせてみると、その右足と人差し指から生命が蛇の形で流れ出してしまった。アダムの口に霊を吹き込んだが、それも流れ出し、こんどは蛇そのものとなってしまった。当惑したサタナエルは、第一の神、つまりは父との休戦を申し入れ、助力を請うたのである。人類の創造に協力してくれるなら、人類を共同で支配すると提案したのである。一方、神にとって関心事は、サタナエルと行動を共にした天使たちであった。 大量の離脱によって空位となっていた天の組織の穴を、優れた人間によって埋めたいと望んでいたことから、神はこの提案を了承したのである。

 こうして、アダムの創造は成功した。エヴァの創造に際しても神は力を貸したと言う。やがて、サタナエルは蛇に変身してエヴァと性交して、カインと妹のカロメナという双子が生まれた。そののち、エヴァはアダムとのあいだにアベルという息子を産んだ。カインがアベルを殺すことによって、地上に"殺人"という行為がはじめて出現した。神は、エヴァを誘惑した罰として、サタナエルの神々しい姿と創造力を奪い去った。それ以降、サタナエルは、黒く醜い姿となってしまったといわれている。

 しかし、それでも神はサタナエルの物質世界(地上)における支配権だけは7年の間許すことにした。サタナエルは、この間、できるだけ自分の影響力を人類に浸透させようと試みた。その妙案が、モーセに与えた律法(旧約聖書中の"モーセ五書"のこと)である。彼はこの聖書を自分で作っておきながら、神の書としたのである。その後、神とサタナエルは、この宇宙の支配権をめぐって凄まじい闘争を繰り広げた。勿論、悪魔が神との約束など守るはずがない。闘争の最大の焦点となったのはやはり、人類である。悪魔はあらゆる手段を持ってして、人類が神でなく自分を崇拝するように仕向けようとした。最大の手段として成功したのは、悪魔の下僕であるデーモンたちを人間ひとりひとりの心に住み着くようにしたことであろう。その結果、神は人類創造を手助けした際のもくろみを実現することが出来なくなった。つまり、人類が物質という殻を抜け破って、天に昇って天使の座におさまるという可能性はなくなってしまったのである。結局、ボゴミル派のいわんとすることは、地上は陰湿な悪意に満ちた悪魔の作り出したものであり、人間もまた悪魔と神の両者が作りだした不完全なものだと言うことだ。さらに悪魔は人間への支配権を持続させる為に、人間一人一人の心にデーモンを住まわせたのである。

 では、人類に望みはないのかというと、ボゴミル派は次のように答えている。人類創造後、5500年後、神は聖霊と子を生み出し、キリストを地上に派遣した(ボゴミル派にとってキリストは大天使ミカエルと同一視されている)。キリストは肉体を持たない霊的な存在とされており、聖母マリアの右の耳から胎内に宿り、同じく右の耳から生まれたという。キリストに与えられた使命は、人類に地上の支配者である悪魔の実態を暴露すること、そして、神への信仰によってのみ、肉体と言う悪魔の創造した牢獄から逃れられると言う。そして、人類が神の側につくことによってキリスト(ミカエル)は、"終末"の決戦に勝利を収めることができ、天に昇って神の右側、すなわち以前サタナエルが陣取っていた場所に座を占めることが出来るとされた、そのとき、サタナエルは、その名前の「神」であることができることを示す「-el」を失い、ただのサタンとして再び追放されるとした。

 こうした世界観を持つボゴミル派であるから、悪魔の被造物である"この世"の物質を徹底的に排斥した。水、パン、ワインといった
キリスト教の儀式を排斥し、教会という建物も攻撃の対象になった。悪魔とデーモンたちは物質を用いて人々を混乱させることを好むとされるのだから、肉食、酒、結婚などを断ち切る禁欲生活こそが、悪魔を退ける道であるとした。ボゴミル派のこうした考えは、グノーシス思想(キリスト教と同じ時期に地中海沿岸で起こった宗教思想運動。グノーシスとは「知識」という意味のギリシャ語で「霊知」といった方が正確と思われる。人間はもともと神と同列の霊的存在であり、何らかの理由で肉体と言う檻に入れられ、地上に落とされたとしている。したがって、地上の人間が抱える原罪は物質世界の所産であり、肉体を脱却すれば、消滅すると考えている)の影響を受け継いだものとされている。彼らの勢力は次第に増強し、13世紀にはブルガリア帝国で繁栄、次いでセルビアやボスニアにも勢力を拡大した。一時はボスニアの国教的地位を得た。しかし、こうした思想をキリスト教会や支配階級が認めるはずがない。ついに、弾圧も強まり、1211年、公式に異端とされたのである。宗派としては、完璧なまでに分断、崩壊したボゴミル派であるが、その思想は今も人々の間に残されている。そして、第2の神として人々に君臨する大悪魔サタナエルもまた、現在に息づいているのである。

 なお、異端という言葉だが、Heresyといい、もともとは分派を意味したが次第に正統思想の対立物として位置づけられたのが、異端であり、"異教"とは区別される。したがって、キリスト教会で異端が問題となるのはキリスト教の確立以降のことである。キリスト教は一神教の立場にあるため、排他的な傾向が強く、すでに2世紀から異端問題は発生している。


P.S. なお、この悪魔学の文章は『堕天使〜悪魔たちのプロフィール』(真野隆也氏著・新紀元社)を参考にしております。  

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送